SUSHIじゃないJAPANの備忘録

私の人生で衝撃を受けたお話をします。みなさんの生活のちょっとした楽しみになれば幸いです。

あたり‐まえ[名・形動] そうあるべきこと。そうすべきこと。また、そのさま。後編

 

littlegirlbigworld.hatenablog.com

 【後編】

 

また別の友人が家に遊びに来た。

デリバリーのピザとチキンを頼み、ワインを空けた。

 

たくさん食べて、たくさん飲んで、名残惜しさはあるが会はお開き。

友人を見送るついでに、ゴミを出すことにした。

キッチンには友人が昼間飲んでいたお茶のペットボトルと、我が家で使い切ったごま油の瓶があったので、

「これも捨てるから待って」と友人に伝えた。

 

「なにを?」

友人は少し驚いた顔すらしている。

 

「ごみ出す準備するから待って?」

この答えであってる?

 

「準備ってなに?」

 

また「あたりまえ」がすれ違った。

 

「ペットボトルのラベルはがして、瓶のキャップのプラスチック部分、取らないと。」

 

「えらいね」といわれた。

 

えらいわけではない。

それが「あたりまえ」だったから。

意識なんてしてなかった。

 

「そうかな?」

と言いながら、冷蔵庫の上のペットボトルのキャップを溜めてある箱にキャップを入れた。

これは寄贈すればワクチンになるらしい。

 

確かに、これに関しては教えてもらうまで、単にキャップは別にして破棄するだけだった。

 

ただ、ワクチンになると知ってからはキャップを溜めることが「あたりまえ」になっていた。

「捨てる」という選択肢がいつの間にか消えていた。

 

 

 

 

瓶にプラスチックがついたまま捨てるのはなんだか気持ち悪い。

例えれば、ベッドの上に土足で上がるようなもの。

 

…訂正。

それはちょっと違うが、他に良い例えが思い浮かばなかった。

ベッドに土足で上がるのが「あたりまえ」と思う人もいるので

あまりいい例えとは言えない。

 

とにかく友人は、瓶からあのプラスチック部分が取り外しできることすら知らなかったらしい。

正直私もずいぶん昔に調べて初めて知った。

 

一人暮らしを始めた頃、初めてボトルを捨てる際に、

自然と「プラと瓶をわけないといけないのでは?」と思い検索した。

「簡単に外せるような構造になっているだろう」とも思っていた。

そこには「ここは日本」という意識も根底にあったと思う。

 

(特に某ポン酢はすごく外しやすくて感動する)

 

さて、自分が興味深いなと感じたことを長々と書き綴ったが、

特に結論はない。

 

誰がいい悪いというわけでもない。

 

このそれぞれの「あたりまえ」たちは一生並行に進んでいるのだろうか。

 

私は、自分がまだ知らない誰かの「あたりまえ」に出会ったときに、

一歩立ちどまって考えられる余裕を持ちたい。

 

Ps.日本は比較的、国民の共通認識が多い国だと以前読んだことがある。

だから「あるあるネタ」が支持されているらしい。

 

 お題「断捨離」